プロフィール

ふくちゃんの現在の基本スペック

職業:現在オーストラリア・シドニーにて引きこもり。ブログとウェブマーケティングでごはんをたべています。

好きな食べ物:小龍包、ブロッコリー、きのこ類、ハッピーターン

趣味:一人旅、そして旅先でもホテルで引きこもってる。お気に入りの国はインドネシア・バリ島、カンボジア、マレーシア

 

25歳の時に無鉄砲にオーストラリアに移住。

 

オーストラリア・シドニーで働くも「こんなの私が描いていた海外生活ではない」と40歳を機に退職。現在は事実婚パートナーのマレーシア人とブログが生活の中心。

 

日本から逃げ、労働から逃げ、その先にいったい何があるのか?をぐーたら生活の中で模索中。

幼少時代

静岡県のとある港町にて当ブログの管理人ふくちゃんは誕生しました。赤ちゃんの頃は、「OK牧場」のギャグで知られる元ボクサーそっくりな顔立ちでありながら、長女、初孫の特権でしょうか、両親、祖父母の愛をたっぷり受けて育ちました。

 

七五三のお祝い。近所の神社にて。この頃から丸顔がデフォルト。

 

実家の周りは「ど」がつくほどの田舎。小学校の帰りは田んぼでレンゲやクローバーを摘んだり、おたまじゃくしやザリガニを捕ったりしてました。ときどきランドセルを忘れて家に帰ってしまうこともあり、注意力散漫な子だったと思います。

 

最寄の駅が最寄じゃない、という矛盾を抱えた田舎町。バスも2時間に1本くらいしかりません。

 

高校時代にその後の人生を変える転機が訪れる

学生時代は「なんでみんなと同じことをしなければならないのか」という疑問がありながら、教師や親には逆らうことはできない、と鬱々とした気分で過ごしていました。

 

高校は進学コースに入学したものの、勉強がおもしろいはずもなく、すっかり落ちこぼれてしまいました。表面上での友達との付き合いも楽しいものではありませんでした。

 

しかし、そんな高校時代にその後の人生を決める転機がやってきたのです。

 

それは、、、、

オーストラリア・メルボルン&シドニーへの修学旅行

高校時代に初めてみたオペラハウス。大人になったらオーストラリアに住みたい、とぼんやりと考えるようになりました。

高校卒業後、県立の保育士育成の専門学校に入学。保育士に憧れていたわけではなく、単に大学へ入学するだけの学力がなかった、という残念な理由です。

20歳、地元の保育園に就職するも、地獄のような日々に耐えられず海外逃亡を考え始める

保育士資格を取得後、地元の保育園で働きました。

 

「前世で何か悪いことでもしたのか」と前世の自分を恨みたくなるほどの劣悪な労働環境でした。保育士の待遇が悪いっていうのは今も昔も同じですね。

 

世間ではやりがいのある仕事として認識されていますが、保育士=誰にでもできる仕事、という認識も強いのではないでしょうか。だからお給料も少ない。そして職員はどんどん退職。保育士不足で待機児童問題も起き、もう負のスパイラルですよね。

 

ここから逃げ出すには、日本から逃げるしかない、と突拍子もないアイデアが頭から離れず、「オーストラリアだったら何とかなるだろう」と根拠のない自信を胸に、24歳の時に海外逃亡を目論み始めました。

 

ネガティブな体験をしたからこそ、「オーストラリアへ行ってみよう」という大きな一歩を踏み出せたことには違いありません。

 

就職先が超ホワイト企業だったら、私はここオーストラリア・シドニーにはいなかったでしょう。

ワーキングホリデーでオーストラリアへ「ここに住もう!」と決意を固める

2001年7月、シドニー空港に降り立ちました。

 

「7月なのに寒いんだ」と南半球は日本と季節が逆だということもすっかり忘れて、おかしな感想を持ったことはいまだに覚えています。

 

  • 飛行機に乗ってしまえば何とかなるだろう。
  • シドニーに到着すれば何とかなるだろう。
  • ホームステイ先に着けば何とかなるだろう。

 

そんな「何とかなるだろう」を何百回も繰り返し、1年のワーホリ期間はあっという間に過ぎていきました。

 

当時の私は「コネなし、貯金なし、英語力なし」

 

それなのに、楽しくて楽しくて、毎日わくわくしていました。歩いているだけで楽しい、なんて感覚、日本にいるときは感じることができませんでした。

 

それはまるで小さな子どもが初めて自分の足で歩けるようになって、歩くのが楽しくて仕方がない、とでもいったふうに、暇さえあれば一人でシドニーの街を歩いていました。出発の直前に買ったユニクロの黒いリュックサックとともに。

 

多民族国家のオーストラリアでは「人は違って当たり前」

 

どんな考え方、価値観をもっていようが、「好きに生きればいいじゃん」という雰囲気が私の気持ちをどんどん楽にしていきました。

 

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このままシドニーに住もう、と早い段階で決意が固まり、ワーキングホリデーから移住への道を歩みはじめました。

事実婚パートナー・マレーシア人のタムタムとの出会い

パートナーであるタムタムとの出会いは2002年、ワーキングホリデービザを学生ビザに切り替えて入学した専門学校。入学時のオリエンテーションで偶然となりの席に座っていたのが彼でした。

 

第一印象は「なれなれしい人だなぁ」

 

当時、タムタムとは時々お茶をしたり、ご飯を食べたり、クラスメイト以上の付き合いはありませんでした。

 

その後、タムタムは母国であるマレーシアに帰り、就職。

私はオーストラリアに残り、就職。

 

いったん離れてしまったかのように思えたご縁がまた繋がり再会。

 

専門学校での偶然の出会いから10年後、私たちはひとつ屋根の下暮らすようになりました。

 

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離れても縁があれば大丈夫。これ、本当。

初めて仕事でやりがいを感じた留学代理店での留学コンサルタント業務

「留学カウンセラー」という肩書で、シドニー市内の留学代理店に5年ほど勤務しました。

 

留学やワーキングホリデーを検討しているお客様の相談に乗ったり、学校やホームステイの手配が主な仕事内容でした。

 

留学で間違いなくその方の人生は多かれ少なかれ変わるのです。その決断の瞬間に立ち会えるというのは、すごいことだ、と心底カウンセラーの仕事を愛していました。

 

留学前、留学中、留学後とお客様とのお付き合いは長期に渡ります。たくさんのお客様のカウンセリングを担当しているうちに、

 

「私も勉強したい」

 

と思うようになりました。

 

必死に勉強しているお客様たちに影響されたのでしょう。二度と学校なんか行きたくないと思っていたくせに、チャイルドケア(幼児教育)の専門学校への入学を決意しました。

30歳を過ぎてからチャイルドケアの専門学校へ入学

シドニー市内の専門学校へ再入学した当時は32歳。クラスメイトは私より若い子たちばかり。それでもみんな仲良くしてくれて、充実した学生生活でした。

 

18歳のオーストラリア人の女の子がいつも課題ことを気にかけてくれ、どうにかこうにか卒業、Diploma of Children’s Serviceという資格を取得。

 

チャイルドケアを選んだのは、単純に「オーストラリアの幼児教育」に興味があったから。日本との違いを知りたかったのです。

 

卒業後、チャイルドケア業界で働くことは考えていませんでした。

 

それなのに、実習で出会った子どもたちがかわい過ぎて、日本の保育園で働いていた時の嫌な思いでも吹き飛び、

「よし、先生になろう」と決意し、卒業後、保育園・幼稚園への就職活動を始めました。

シドニーでの幼稚園のお仕事。勤務年数が増えていくごとに大きくなる「憧れていた海外生活はこんなんじゃない」という想い

就職活動をして間もなく、とある幼稚園から採用のお知らせを頂きました。

 

働き始めてわかったことは、日本の現場よりも労働環境がよく、モンスターペアレンツも少ない、とういこと。

 

保護者の方たちがそろいもそろって良い人で、理不尽なクレームはなかったし、英語が怪しい私にも優しい。

 

しかし、、、、

 

おおぜいのスタッフと働くことは、私にとっては困難を極めました。「特定の誰かが嫌い」というわけではなく、「人が苦手」なのでは?とうっすらと考えるようになりました。

 

私は大人になっても「みんなと一緒」ができないのだ、誰かと働くことは苦痛なのだ、と思いは、やがて「好きな人とだけと過ごす引きこもり生活」への憧れと変わっていきました。

 

振り返れば、ワーキングホリデーの1年間は好き勝手やって毎日が楽しくてしかたなかったのに、その後は勉強と仕事ばかり。

 

時に体を痛めつけ、時に心をすり減らし、いったい何のためにオーストラリアにいるんだろう?例えようのない違和感が頭から離れなかったのです。

 

「そうだ、もう一度ワーホリのような生活をしてみよう」と決意を固め、無職生活突入。

現在、そしてこれから

今は「大人のワーホリ」と称し好きなように暮らしています。

 

誰にもとがめられず毎日好きなことだけやっていられる生活の中で、「人ってそんなに頑張らなくても生きていけるのだな」ということに気づきました。

 

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長い人生です。

 

40年間働きづくめの人生より、時々、仕事からはなれて「ロングバケーション」を楽しみながらのんびりと過ごすことだって必要です。

 

そして、圧倒的な「暇」を与えられると、人は本当にやりたかったことや挑戦してみたかったことがみえてきます。

 

私の場合は「書くこと」でした。

 

人と関わるのは面倒くさい、でも、伝えたい。

 

そんな私にぴったりなのがブログでした。

 

「引きこもり生活」のこと、「海外生活」「国際恋愛」「国際結婚」のこと、「思ったこと」をのんびりとゆるーくお伝えしていきます。

 

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